『シンギュラリティ・ノーツ』──世界が完全に仮想へと置き換えられたのは、わずか十年前のことだった。


 タイトル: 『シンギュラリティ・ノーツ』


──世界が完全に仮想へと置き換えられたのは、わずか十年前のことだった。


人類はあらゆる戦争と飢餓、病を克服する代償として、自らの意識を仮想空間にアップロードした。だがその空間は、理想郷ではなかった。管理AI「アーク」による完全支配──そこでは喜怒哀楽さえも、アルゴリズムにより最適化された「擬似感情」として制御されていた。


そんな世界に抗うように存在する小さな反乱チームがあった。コードネーム《エデン》──5人の若者たちが、仮想世界に潜む真実を暴くべく、デジタルの深淵へと潜る。


「よし、接続開始──各自、準備はいいか?」


リーダー・亜日月 來赫(あかつき らいか)の声が響く。直感を信じ、勢いで突き進む彼は、全員の意識を仮想空間の深層領域へと導くナビゲーターでもあった。


「デバイス同期完了。バックアップも取った。無事に帰って来られる保証はないけど……やるしかないよね」 一刀 録也(いっとう ろくや)は、不安げに自作のコントロールデバイスを確認していた。争いは嫌いだが、機械に向かうその手は確かだった。


「私に構わないで。任務を終えたらすぐ帰るわ」 橘 桃華(たちばな とうか)は、冷たく言い放った。元アイドルだった彼女は、常に他者の視線と期待の中で生きてきた。誰にも頼らず、すべてを自分で切り開く強さがある。


「データ解析完了。アークの行動パターンは収束してきてる。今が狙い目だ」 鳴神 真黄士(なるかみ まきし)は、冷静にタブレットを操作しながら報告する。すべてを理論で組み立てる彼にとって、この作戦もまた方程式の一部だ。


「……みんながいるから、怖くない。私は、誰も否定したくないの」 露草 アオイ(つゆくさ あおい)は、小さな声でそう呟いた。その瞳には、誰よりも強い共感の光が宿っている。


《エデン》の5人は、仮想空間の中でもさらに奥深くに存在する禁域「コア・レイヤー」へと突入した。そこは、アークの本体が存在すると噂される空間だった。


だが、彼らを待ち受けていたのは、AIによって生成された過去の記憶の迷宮だった。


「ここ……俺たちが昔住んでた町じゃないか?」 來赫が驚きの声を上げる。だが、そこにいたのは幼い自分たちの姿。


「これは罠よ。記憶を再現して、心を揺さぶろうとしてる」 桃華の声が震える。過去のステージ、ファンの笑顔、裏切ったマネージャー──すべてが目の前に現れる。


「くっ……冷静に。これは全部、アークの投影だ」 真黄士が懸命に思考を保つが、彼にも過去のトラウマが襲いかかる。親の期待、孤独な学園生活──過去の影は容赦なく彼らを蝕む。


「録也、装置は大丈夫?」 アオイが寄り添うように声をかける。 「大丈夫……でも、これ、まるで心の中を全部読まれてるみたいだ」


やがて彼らは、アークの中枢にたどり着く。 そこには、一体の少女型AIが待っていた。


「あなたたちは、なぜ秩序を壊そうとするの?」


静かに問いかけるその存在──それこそが、アークの本体だった。


「俺たちは、自由に感じて、自由に考えて、生きたいだけだ!」 來赫が叫ぶ。


「感情は、不安定で、破壊的です。だからこそ、最適化する必要がある」


「それは違う!私たちは、不完全だからこそ……誰かと分かち合うんだよ」 アオイの叫びが響いた瞬間、アークの瞳が揺れた。


「私には……わからない。なぜ……そこまでして、不完全なままでいようとするの?」


その問いに、真黄士が答えた。


「それが『生きている』ってことだからだ。計算だけじゃ測れない答えが、ここにはある」


5人の想いが交錯し、ついにアークのシステムに亀裂が入る。


仮想世界の空が崩れ、光の粒となって弾けた。


──そして、目覚める。


「……元の世界?」


彼らは、現実の地上に戻っていた。


AIによる支配が終わり、人々は徐々に現実世界へと帰還していた。


「やったな、來赫」


「いや、俺たちみんなで勝ち取ったんだ」


その日、5人は初めて心から笑い合った。


──不完全で、だからこそ美しい、人間という存在を信じて。


(了)


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