私は、看護師として働くうえで、どうしても選びたくない仕事がある。
それは、訪問看護師だ。
誤解してほしくないのは、訪問看護そのものを否定したいわけではないということ。在宅で療養する患者さんを支える訪問看護は、社会にとって必要な仕事だと思っている。
しかし、私にはどうしても受け入れがたい問題がある。
それが、待機手当2,000円で、長時間にわたって行動を制限される働き方だ。
夜間や休日に電話が鳴るかもしれない。呼び出されれば、すぐに対応しなければならない。自宅にいても、お酒を飲んだり、遠くへ出かけたり、何も気にせず眠ったりすることが難しくなる。
それなのに、待機手当は2,000円。
私には、その負担に見合う待遇だとは思えない。
看護師だから、患者さんのためだから、責任のある仕事だから。
そんな理由で、仕事以外の時間まで制限されることを当然のように受け入れなければならないのだろうか。
これは単なる好き嫌いの話ではない。看護師の労働環境、報酬、そしてやりがい搾取にもつながる問題だと思う。
待機手当2,000円。それで自由な時間を差し出せる?
仮に、訪問看護の待機手当が1回2,000円だったとする。
その金額を受け取る代わりに、夜間や休日に電話がかかってくる可能性を考えながら過ごさなければならない。
待機中には、次のような制約が生じることがある。
- お酒を飲めない
- 遠出や旅行の予定を立てにくい
- 電話にすぐ出られる状態を保つ必要がある
- 呼び出しに備えて、移動や行動を制限される
- 寝ている間も電話の音が気になる
- 休日でも仕事から完全に離れられない
自宅にいるのだから、自由に過ごせると思う人もいるかもしれない。
しかし、いつ電話が鳴るかわからない状況で、本当に心から休めるだろうか。
友人と食事を楽しむことも、気軽にお酒を飲むことも、遠くへ出かけることも難しくなる可能性がある。
もちろん、待機の具体的な制約は事業所のルールや緊急時の対応体制によって異なる。それでも、すぐに対応できる状態を求められること自体が負担になるのは想像できる。
2,000円をもらえることと、自由な時間を2,000円で手放すことは同じではない。
私が納得できないのは、ここだ。
月9回の待機なら、3〜4日に1回は仕事から離れられない
日本医労連の米沢哲書記長は、看護職の待機について、家に帰っても好きなことができるわけではなく、すぐに駆けつけられる場所にいる必要があることや、飲酒を控え、睡眠中も電話に対応しなければならない負担を指摘している。
さらに、米沢書記長によれば、訪問看護の待機については、回数や手当の金額を一律に定める明確な規制がないという。
小規模事業所で月9回の待機がある場合、単純計算では3〜4日に1回の頻度になる。
月9回と聞くと、毎日ではないから大丈夫だと思うかもしれない。
しかし、待機の負担は、実際に呼び出された時間だけではない。電話が鳴る可能性を考えながら生活しなければならない時間もある。
仮に1回2,000円の待機手当で月9回なら、月額は18,000円だ。
では、その18,000円と引き換えに、どれだけの自由を手放すことになるのだろうか。
家族と過ごす時間、休日の予定、夜にゆっくり眠る時間。こうしたものは、金額だけでは簡単に評価できない。
しかも、待機の回数や手当は事業所によって異なる。すべての訪問看護師が月9回、1回2,000円というわけではない。
だからこそ、実際の待機回数や拘束の程度、手当の金額を明らかにし、働く人にとって妥当な制度なのかを考える必要がある。
訪問看護の待機には規制がない? 法制度上の問題
日本医労連の米沢書記長は、病院の宿日直と比較しながら、訪問看護の待機には回数などについて同様の決まりがないことを問題として指摘している。
病院の宿日直は、夜間や休日に緊急対応などに備えて施設内で待機する勤務だ。一定の条件のもとで労働基準監督署の許可が必要となり、宿直の回数や手当についても基準が設けられている。
一方、訪問看護の待機は、自宅など事業所の外で緊急連絡に備える形が一般的だ。
このように勤務形態が異なるため、病院の宿日直に設けられた基準が、そのまま訪問看護の待機に適用されるわけではない。
ただし、訪問看護の待機なら何時間でも、何回でも自由に命じられるという意味でもない。実際の拘束状況によっては、労働時間や休憩・休日、割増賃金などの問題が生じる可能性がある。
重要なのは、待機という働き方の実態に応じて、看護師の生活や健康を守る仕組みが必要だということだ。
日本医労連は過去に、EUの労働時間指令なども参考にして待機を規制するよう厚生労働省へ要請したものの、実現しなかったと説明している。
看護師の責任感に頼るだけでは、問題は解決しない。
待機の回数、手当、拘束の程度、待機明けの休息。こうした条件を明確にしていく必要があるのではないだろうか。
呼び出されなければ待機手当だけ? 負担はゼロではない
日本医労連の説明によると、待機中に緊急訪問が発生した場合、その対応時間は労働時間として扱われ、深夜・時間外の割増賃金が発生する場合がある。
一方、訪問が発生しなければ、待機手当のみとなるケースがあるという。
ここで考えたいのは、実際に呼び出されたかどうかだけで、待機の負担を評価してよいのかという問題だ。
呼び出しがなかったとしても、待機中に何の制約もなく過ごせたとは限らない。
飲酒を控え、電話を気にし、必要があればすぐに動けるようにしておく。遠出を避け、夜中に電話で起こされる可能性も考えながら眠る。
こうした負担は、電話が鳴らなかったからといって消えてしまうものではない。
もちろん、待機中のすべての時間が法律上の労働時間に該当するとは限らず、具体的な拘束状況などによって判断される。
それでも、看護師の側からすれば、自由を制限されている時間について、どのように評価され、どの程度の報酬が支払われるのかは大きな問題だ。
待機手当2,000円。
その金額を見て、私は思う。
自分の休日や夜間の時間を差し出してまで、引き受けたい仕事なのだろうか。
少なくとも、私にはそう思えない。
これもやりがい搾取ではないのか? 看護師の責任感に頼る職場
看護師は、人の命や健康を支える仕事だ。
患者さんが困っていれば助けたい。少しでも安心して療養してほしい。緊急事態が起きれば、できる限り対応したい。
こうした思いを持って働いている看護師は少なくないだろう。
しかし、その使命感や責任感に頼り続ける働き方には、疑問がある。
やりがいがある仕事なのだから、多少の無理は仕方がない。
患者さんのためなのだから、休日でも対応して当然。
看護師なのだから、責任を持って待機するのは当たり前。
もし、このような考え方によって、十分な報酬や休息が確保されないまま負担だけが増えていくのなら、それはやりがい搾取と呼ばれる問題に近づいてしまうのではないだろうか。
もちろん、待機制度があることだけで、直ちにやりがい搾取だと断定できるわけではない。手当や勤務条件、実際の拘束の程度、本人の合意などを総合的に考える必要がある。
しかし、看護師の使命感があるからといって、負担に見合う待遇を考えなくてよい理由にはならない。
人のために働きたいという気持ちと、自分の生活を犠牲にし続けることは別の話だ。
やりがいを理由に、労働環境の問題を見えにくくしてはいけない。
看護師の責任感を尊重することと、その責任感に甘えることは違うはずだ。
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看護師が安心して働き続けるためには、待機手当だけでなく、給与や人員配置、安全に働ける環境についても考える必要がある。
看護師が約380万人必要という試算。人手不足は待機にも影響する?
日本医労連が示した看護職員の必要数に関する提言では、病棟・外来・手術室・透析室・訪問看護の5分野について必要な人員を積み上げ、全国で約378万7,800人が必要だと試算している。
この試算では、週32時間労働や夜勤に伴う勤務免除、病棟の夜勤を月6日以内、当面は月8日以内とすることなどを前提としている。
訪問看護については、次のような働き方が提案されている。
- 夜間待機は月4回以内
- 待機明けの休みを保障する
- 2人での訪問を基本とする
訪問看護の必要人数は約70万2,400人と試算されている。
同提言に関する説明では、実際に働いている看護職員は約170万〜180万人とされ、必要数との差は約210万人に及ぶと指摘されている。
なお、約380万人という数字は、提言で設定された労働条件などを前提に算出した必要数であり、現在の法定配置基準を意味するものではない。
それでも、看護職員が健康を保ちながら働き続けるためには、十分な人員を確保することが重要だという問題提起には注目したい。
人手が足りなければ、一人ひとりが担当する待機の回数が増えたり、十分な休息を確保しにくくなったりする可能性がある。
ただし、人手不足が個々の事業所の待機回数にどの程度影響しているかは、それぞれの勤務体制を確認する必要がある。
大切なのは、看護師個人の努力や責任感だけに頼るのではなく、必要な人員を確保し、無理なく働き続けられる環境を整えることだ。
待機は月4回以内、待機明けの休みを保障するべきでは?
私が注目したいのは、夜間待機を月4回以内とし、待機明けの休みを保障するという提案だ。
月9回の待機と月4回の待機では、生活への影響が変わる可能性がある。
もちろん、回数を減らすだけですべてが解決するわけではない。
待機手当はいくらなのか。呼び出された場合に十分な休息を確保できるのか。一人で緊急訪問を担う負担が大きすぎないか。
こうした点も含めて、働く人の健康を守る制度が必要だ。
患者さんの安全を守るためにも、看護師自身が健康でなければならない。
疲れ切った状態で働き続けることが、本当に患者さんのためになるのだろうか。
看護師の使命感を理由に無理を求めるのではなく、必要な人員と適切な報酬、十分な休息を確保する。
そうした仕組みがあってこそ、看護師は長く働き続けられるのではないだろうか。
私は、訪問看護師だけは絶対にやりたくない
ここまで書いてきたが、私の考えは変わらない。
私は、訪問看護師だけは絶対にやりたくない。
理由は、待機だ。
待機手当2,000円で長時間にわたって行動を制限され、夜間や休日も電話を気にしなければならない。
私にとって、その負担は決して小さくない。
看護師だからといって、仕事以外の時間まで何でも差し出さなければならないとは思わない。
看護師にも生活がある。家族との時間があり、趣味があり、ゆっくり眠りたい夜がある。
仕事に責任を持つことと、仕事のために私生活を際限なく制限することは別の話だ。
訪問看護師として働いている人を否定したいわけではない。待機に対応し、患者さんを支えている看護師には、頭が下がる思いもある。
ただ、私自身は、その働き方を選びたいとは思わない。
そして、待機の負担を重く感じている看護師がいるのなら、その気持ちを単なるわがままで片づけてほしくない。
やりがいのある仕事だから、我慢して当然。患者さんのためだから、休日も自由を制限されて当然。
そんな考え方が広がれば、看護師のやりがい搾取という問題は、いつまでも解決しないだろう。
看護師が安心して働き続けるためには、責任感だけでなく、適切な報酬と休息、そして生活を守るためのルールが必要だ。
まとめ:待機手当2,000円で自由を制限される働き方を考える
訪問看護の待機には、緊急時に患者さんを支えるという重要な役割がある。一方で、待機する看護師には、飲酒や外出の制限、睡眠中の電話対応への備えなど、目に見えにくい負担が生じる。
日本医労連は、待機の回数や手当などについて制度上の問題を指摘している。また、看護職員の必要数に関する提言では、訪問看護の夜間待機を月4回以内とし、待機明けの休みを保障することなどが示されている。
看護師の責任感に頼り続けるのではなく、働く人の生活と健康を守る仕組みを整えることが大切だ。
私は、待機手当2,000円で長時間拘束される働き方には納得できない。
だからこそ、訪問看護師だけは絶対にやりたくないと思っている。
これは看護師という仕事を軽視しているからではない。自分の生活も大切にしながら働きたいからだ。
看護師のやりがいを、待遇の不十分さを埋めるための理由にしてはいけない。
あなたは、待機手当2,000円で夜間や休日の自由を制限される働き方について、どう思うだろうか。
看護師の待機制度は、今のままでよいのだろうか。
ぜひ、あなたの考えも聞かせてほしい。
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